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戦国武将を語る2 

こんにちは。

 

 

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淡々と書いていきます。

 

 

武田信玄ですが、元々

晴信 

という名でした。

 

 

父親の信虎がこれまた評判の悪い人で

部下や民の不満が溜まっていたのでしょうね。

 

 

信虎が駿河今川氏の元に出掛けている間に

晴信をそそのかしてクーデターを起こします。

 

国外追放

 

 

そして父親は駿河に隠居し

余生を楽しく暮らします。

 

 

晴信の時代です

 

 

 

 

 

しかし、本拠地である

躑躅ヶ崎館

現在の甲府ですが、

見事にに囲まれています

 

 

夏は暑い 

山の冬は雪でおおわれ

雨季になると洪水に悩まされていたようです。

 

 

そのとき作ったとされる堤防

現在も信玄の名前のついた

信玄堤

なんてのもあります。

 

信玄堤 - Wikipedia

当時かなり画期的だったそうです。

 

 

 

 

信玄はどうしても海に面した領土が

欲しかったんでしょうね

 

南は今川、北条と同盟(三国同盟)を

結んでいたため、北に攻めます。

 

信濃辺りで村上義清と言う猛将と激戦を繰り広げます

(たしか何回か負けてる) 

 

最後は義清が謙信を頼って逃げ出だし

そこから謙信との因縁の始まり ですね。

 

 

しかし、時代は動き

上洛中の今川義元桶狭間で信長に討たれます

 

 

義元の跡をついだ、氏真の時代になってから

同盟を破棄し、駿河方面に攻めます。

 

と同時に上洛を開始

 

 

 

そして家康を瞬殺

三方ヶ原の戦い

この戦で家康は小便漏らしながら

帰ったと言われてますね。

 

 

 

そのときの有名な絵↓

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 負けて不貞腐れてる家康

 

二度と同じ思いをしないように描かせたと言われてます。

(たしか名古屋の徳川美術館にあったような)

 

 

 

 

次はいよいよ

覇王信長

と直接対決だ

 

 

 

 

誰もがそう思いました。

 

 

 

 

 

が、しかし

 

 

 

 

 

信玄没

 

 

 

 

 

 

 

意思は息子の勝頼へと引き継がれます。

 

 

勝頼は怒涛の勢いで勢力を拡大

 

 

信玄が落とせなかった

高天神城をあっさり攻略

遠江侵攻に成功します。

 

 

 

この勝頼、残念なことに父親を意識するあまり、

信玄を支えてきた将たちを軽視します。

武将としては、一流かもしれませんが、大名としては

二流だったのかもしれません。

 

配下とギクシャクしたまま

信長と対峙

あの有名な鉄砲隊に粉砕され

長篠の戦い

名将たちが討ち死にしてしまいます

 

 

 

ここから武田家滅亡の道へと進んでいくわけです。

 

 

武田と言えば赤備えで有名な

飯富虎昌

この名字読めないですが「おぶとらまさ」です。

 

虎昌の赤備えの跡を継いだと言われているのが

山県昌景

かなりの猛将だったようですが、

なんと身長が140cmくらいだったと言われています

(この当時平均が157cmくらい)

 

見てみたかったですね〜

 

 

 

 

 

 

実は信玄が恐れていたと

言われている人物がいます

 

 

 

 

誰か?

 

 

 

 

 

そう

 

 

 

 

 

今川義元

 

 

 

 

 

 

 

武田を凝縮しすぎました(汗)

また、武田第二弾もやるかもしれません

 

 

 

 

次回は義元公